駒の湯応援団にご参加ください

 

駒の湯温泉は…宮城県北の栗駒山にある駒の湯温泉は、1618年(元和4年)に開湯し、皮膚疾患や神経痛に効くとして知られ、湯治や登山をする人が立ち寄る温泉として知られ、湯守たちはこの地に冬も留まり温泉を守ってきました。戦前に曽祖父が前の経営者から買い取る形で経営を始め、祖父は満州で亡くなり、曽祖父から見込まれた父は婿となり、両親が曽祖父から駒の湯を託されました。戦後に曽祖父が息子の供養にと満州開拓の引揚者を中心に駒の湯に受け入れたことから、この地が開拓地となり、集落は「耕英」と呼ばれ、電気などが導入されインフラが整備されました。父は、国定公園を目指していた県や町の方針に従い、持っていた山林をキャンプ場用地として町に貸しました。温泉宿の周辺には細倉鉱山の山荘、栗原電鉄山の家、町営ヒュッテ、栗駒高原荘などの施設が建ち、山の観光の発展をおおいに期待し、努力してきました。その後、山にはいこいの村栗駒、ハイルザーム栗駒など大型観光施設が設置され、山は観光地として発展しました。

 

 

 

しかし、2008年(平成20年)岩手・宮城内陸地震によって駒の湯の対岸が崩れて沢をせき止め、同時に源流部で大規模崩落が発生し、大量の残雪を巻き込んだ土石流が駒の湯を呑み込んでしまいました。お客様や従業員、母と兄も含め、7人の尊いいのちと共に温泉旅館と源泉が大量の土砂に埋もれました。巻き込まれながらも生き残った父と私はただ茫然と立ち尽くしましたが、半年後、枯れていた源泉が復活しているのを発見しました。その後、震災1年後の母の誕生日に行方不明だった2人の方が見つかり、3回忌に慰霊碑を建てることができました。

その2年後…震災4年後にやっと被災現場の河川工事が終わり、荒涼とした被災現場が残されました。一人でも木を植えたいと言ったのを受け留めた県職員の方と県砂防ボランティアの方たちを中心に「くりこま絆の森プロジェクト」が結成、栗駒の自然を守る会や宮城建設株式会社、東京のNPOどんぐりの会などの力を借りて緑化活動が始まりました。最近はジオパーク推進協議会もプロジェクトメンバーに加わり、地区の人、一般の人も参加され、応援団員や助っ人が手伝ってくれています。

 

東日本大震災が起き、山に来る観光客が少なくなっていました。駒の湯温泉の復活は到底無理と思われてか地図からも消えましたが、残った源泉の量が徐々に増え、温度が上がってきました。それを知った栗駒高原温泉郷協議会から、観光の起爆剤になればと足湯の桶をもらい足湯を始めました。しかし、足湯では無料提供せざるを得ない上、山に戻る目途もたたず不安な日々を送りました。その後、震災から5年後にやっと山に家を建てられたものの、温泉に関しては日帰り温泉ですら再開の目途は立ちませんでした。そんな中、足湯に来てくれたお客さんから幟をいただいたり、毎年のように遊びに来てくれる人も現れました。何よりも、お湯を喜んでもらえることで私たち自身も救われ、笑顔になれることが増え、7回忌の頃から温泉を復活させることが、亡くなった人たちの生きた証になるのではと思えるようになりました。小さな湯小屋しかできないけれど、日帰り温泉を再開する決意を固め、その時、寄付とお手伝いをしてくれる仲間を集めるため駒の湯復活応援団を結成してもらいました。

 

 

そして、震災から8年目の2015年10月、小さな湯船の湯小屋を日帰り営業することができました。しかし、その冬の休業中に家族が倒れ無理ができなくなりました。そんなときだからこそ前向きに食堂も含めて考え、栗原市の職員の方から助成金で浄化槽を設置するなどの助言を頂き、耕英地区にはない蕎麦屋を始めることにし、蕎麦カフェを建てました。自分も食べたいと思う蕎麦を出そうと北海道産そば粉の十割そばを自分で製麺し提供しています。そして、ゆっくりしてもらえる空間ができたお陰で増えたお客様との交流が私たちを支え、お手伝いをしてくれる仲間も増えてきました。

 

 

 

 

旅館は無理でも、次世代に400年の温泉と森を残そうと、家族二人で頑張り、皆さまのお越しをお待ちしています。そして、温泉を守り、山の暮らしや森の再生などの活動をする仲間を募集しています。

どうぞご協力・応援をよろしくお願いします。

 

 

         駒の湯温泉   湯守  菅原昭夫